昨日のお坊さん講演会

10月10日(金)
朝方の雷雨すごかったです!
7時頃にはあがりましたが、その後も
雨が降ったり晴れたり
目まぐるしい一日。

昨日は浦河乗誓寺にて
松本紹圭師講演会
「生きる力」としての仏教__「お寺」の可能性

聞いてきましたよ。

松本紹圭さんのプロフィールはこちら
35歳の若いお坊さんですが、仏教が現代日本に
すむ人一人ひとりにどう作用していくのか、という事を
僧侶の立場から提案実行されている方です。

今回の講演は、前半は「未来の住職塾」という宗派を超えた
僧侶の勉強会や「彼岸寺」というネット寺院設立と、
その活動内容と松本さん本人の変遷について。
後半は、仏教の重要な教え「縁起」について。
聞いたお話と、私の感想が入り混じって
読みづらいカモシレマセン。

縁起とは、いわゆる縁起のいい悪い、とは違い
「因縁・生起(いんねんしょうき)」という仏教用語です。
「花が咲く」を例えに話されていましたね。
種は花が咲く「因」になります。
種のままでは花が咲きません。土が必要、そして土には養分が必要。
水や二酸化炭素、適度な温度、太陽の光も必要です。
あらゆる条件が整って花が咲くのです。
それらの花が咲くための間接的な原因を「縁」。

だから、同じ種を蒔いても同じ花が咲くとは限らない。
同じ花はひとつとしてない。

なるほどなあ~、と思いました。
あったりまえじゃん!と思うんですが
人は自分の事となると、その当たり前が分からなくなる。
仏教はそういうことを2500年かけてずっと
考え続けている宗教なんだ。
もう、答えはある程度でてるんだ。
だったらもっと広く世間に分かりやすく説明した方が
いいんじゃないの?

なーんて思っていたら、さらに目からうろこのお話が。

人は、他人との関係性によって自分の立ち位置を
決めています。
相手に寄って、現れる自分の面が変わりますね。
「この人といる時の自分は好き」
「この人とはどうもだめだ」
みたいな事もありますよね。
関係性で変わる自分がいかんのではなく、
いろんな自分がいていいというお話。

そうやって他者と係わり合い、変化しつつ
しかし、自分は自分、あくまで一人の自分で
今を生きているわけです。

誰かや、環境や、仕事や、言葉に囚われずに
丸裸の自分をしっかり持つこと。

「誰が念仏するのか?」という命題もありましたね。
お釈迦様も生まれた時にいきなり
「天上天下唯我独尊」なんて言いましたし
親鸞さんの「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば
ひとえに親鸞一人がためなりけり」
という言葉もおしえていただきました。
阿弥陀様は全ての生けるものを救うという本願を
立てられた。
様々な人や生き物横並び一線のうちの
自分もその個のうちの一人である、という自覚です。

これは私の感想ですが、仏教の教えとは
個人が一人一人、周りと縁起を持ちながら
生きていくためのマニュアルなのかな、と。
それがお経に書かれているんですね。
2500年も考えてるんだから、もっと分かりやすく
世間に広めてほしいですよね~

それを松本さん始め、僧侶の皆さんが
宗派を超えて活動しているのだそうです。
ちなみに、日本のお寺はコンビニよりも多いそうですよ!

第二部では浦河べてるの家理事の向谷地生良さんと
歌笛崇徳寺の忍関さんが加わっての鼎談。
私は浦河町民ですが、べてるの家については
ほとんど知らないので、とても新鮮なお話でした。

その中で松本さんが
「共生(ともいき)とは、絶望を共有すること」と
おっしゃって、これもまた
なるほどな、と思いました。
明るい未来に向かって、皆で手に手を取り合って
協力して生きて行こう!
とがんばり続ければ息も切れる。
無理も出る。
それが無理な人は置いていかれる。

誰かの絶望に寄り添い、自分の絶望を隠さずに語って
共感し、笑いあいながら生きていければ
その人の速度でもっと生きやすくなる。
かも。

ということかな?と私の感想です。

繊細な、あるいは体の弱い人たちの絶望を
覗くのは、鈍感で健康な人間には難しく辛いことですが
そうすることで日本は今よりずっと
暮らしやすい世の中になるのかもなあ、なんて。






[PR]
by eniwasorati | 2014-10-10 16:42 | ねこや日記 | Comments(0)


<< 静内温泉の森は紅葉きれいです 10月9日(木)午後2時まで営業です >>